自然と人為の融合のなかであらたに景観を創造することを「装景」と呼んだ宮沢賢治。人間社会の抑圧的なシステムから逃れて野生へと赴くことを「歩行」と読んだヘンリー・ソロー。この二人の自然思想家をむすびながら、水庭を歩くことによって社会を編み直すあらたな共同性のヴィジョンへと至り着く可能性について考えてみたい。
1955年、東京生まれ。文化人類学者・批評家。東京外国語大学大学院教授。おもな著書に『書物変身譚』、『ジェロニモたちの方舟』、『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(読売文学賞受賞)、『ハーフ・ブリード』、『クレオール主義 パルティータI』『群島-世界論 パルティータII』『隠すことの叡智 パルティータIII』『ボーダー・クロニクルズ パルティータIV』『ないものがある世界 パルティータV』など多数。2002年より巡礼型の野外学舎である「奄美自由大学」を主宰。
今日は水庭をテーマに、ソローと宮澤賢治を取り上げながら人間と自然との関係性についてお話したいと思います。私たちは普段「野生の自然」と良く言いますが、実は自然の殆どには人間の手が入っています。「原生林」というのも人がそう呼んでいるだけで、どこかにやはり人の手が入っているのです。人間は少しずつ自然を加工し、共生しながら、これまで存続してきました。しかし、こうした贈与関係のうちにあった人間と自然との関係は、近代に入って大きく変わってしまいます。今回誕生したアートビオトープの水庭は、かつての人間と自然との本来的なあり方について考える一つの手掛かりとなるのではと思っています。
「水庭」という名前を聞いた時、私はすぐに別の「水庭」を知っていることを思い出しました。メキシコでのフィールドワークの中で訪れた、標高2000~3000メートルの森林・湖沼地帯に居住するインディオ・プレペチャ族。彼らのテリトリーにあるサモーラという都市の近くに、沐浴の聖地として知られるカメクアロという水郷があります。水深の深い、大きな泉を囲むように、水の中から直接サビーナ(ビャクシン)という樹木が立ち上がっています。水がとても冷たいので、沐浴するインディオは体温を下げないように一旦水に入ったら身動きをしません。そこでは幻想的な美しい景観だけではなく、音にも魅了されました。木々が立てる音、鳥の声、インディオのささやくような言葉……。プレペチャ語は音節のアクセントによって意味を伝えるので、言葉が音楽的な響きを持っているのです。
もう一つはトゥーレ(メキシコ)と呼ばれている、メキシコのオアハカ州南部にあるヌマスギ(ヒノキ科)の巨木です。樹齢は1500年から3000年と様々な説がありますが、胴回りが36メートルもあり、世界で一番太い木と言われています。Tule(トゥーレ)という名前はTulin(水草)という言葉に由来しています。この巨木は湿原や水草が周囲に多くあったことから、ここまで大きく成長したのです。ここにもまた、水と木によって生まれる豊かな環境が存在しています。
次にご紹介するのは日本にあるアコウ(榕)の木です。熊本県天草上島にある栖本(すもと)の町は、石工で有名ですが、そこには「船繋ぎの木」と呼ばれたアコウの木があります。この木は入江の奥に船を舫(もや)うための木として利用され、こうした木があることによって集落が形作られていきました。ここでも水と木、そして人間との関係はとても重要な意味を持っています。
次にご紹介するのは、津軽・出来島海岸にある最終氷河埋没林です。もっとも最近の氷河期は1万年より少し前に終わりましたが、その頃の海水面は今よりもずっと低かったのですが、近年の隆起によって、津軽半島西部の現在海岸となっている所に2万8000年位前のベルム氷期の森がそのまま露出したのです。この埋没林を調べると、3万年前といわれる桜島の噴火による姶良カルデラの灰が津軽半島にまで到達していたことが分かります。その火山灰の数ミリの層の少し丈夫に埋没林が露出しているため、これが2万8千年前の林だと解るのです。埋没林には杉、トウヒ、蝦夷松などの樹種が見られ、水に浸かっていることからまだみずみずしい印象を保っています。
アメリカの作家、ヘンリー・デイヴィッド・ソローも、木がどれだけ歴史を目撃してきたかということを考え、年輪を読もうとしました。つまり、木には豊かな歴史記述が残されているのです。ソローにとって自然は人間と分断されたものではなく、人間のあり方を様々な形で問い直すための媒体となるものでした。
宮澤賢治もまた、ソローと同じように、こうした自然のなかに様々な道しるべを読み直そうとした人でした。賢治は農という思想によって社会事業を行いながら、造園家としてもそれまでになかった独特の花壇を作っています。賢治によれば、こうした景色を作り上げていく「装景」という行為とは、山や田園の風景を整え、そこに隠れたより高次の理法を明らかにするものでした。
この装景とはまた音楽的な行為でもあり、賢治が好んだベートーヴェンの曲に見られる思想にも通ずるものでした。自然の力の宇宙的な秩序、倫理を直視するような晩年のベートーヴェンの作品に大きく影響を受けていた賢治は、生前に刊行された唯一の詩集「春と修羅」を執筆します。その中に収録されている「マサニエロ」という実在の人物を題にした植生を読み込んだ詩には、この「装景」という思想の母体となった考え方が反映されています。
実在の風景を手掛かりに平行世界を作り上げていく賢治の手法は、「イーハトヴ」という地名や、注文の多い料理店のチラシなどの表現によく表れています。賢治はこの平行世界を、世界の様々な要素を入れ込んだ一つの可能世界(ドリームランド)と考えていました。その中では社会的な困難に対する自由と解放があり、あらゆることが実現可能になります。現実がまだ固められていない少年少女には現実を壊すことが出来ますが、既に現実に固められてしまった大人には出来ません。こうした平行世界のなかに、賢治は現実を超えていく可能性を見ていたのです。
賢治には「装景手記」というノートが残っています。そこにある「装景家と助手との対話」という詩では、雪柳に譬えられた十三歳の聖女テレジアが出てきます。「小さき花のテレジア」と呼ばれ、また自己を花に譬えたと言われる聖女テレジアは、謙虚さの象徴でした。ここでは、雪柳は目立たなくとも美しい人々の願いを象徴しています。誰にでも等しく花びらの雨を降らせる、雪柳=聖女テレジアの人間愛に賢治は共感していました。賢治にとって植物とは単なる何かの比喩や象徴などではなく、物語と一体化しているものでした。その場合、雪柳を植えるという「装景」の行為は、単なる造園ではなく、精神的で知的な行為であり、詩の別名と言えるものでした。従って、彼にとって詩とは、ただ文学的な行為を指すだけのものではなかったのです。同様に、賢治にとって農業とは食料生産だけを目的としたものではありませんでした。このように考えてくると、賢治という人の世界がより豊かに見えてくるのではないでしょうか。
一方、ソローは賢治より60年から80年程前の人で、アメリカが近代的な産業システムを作ろうとしていた時代に生きていました。近代システムが人間を幸福にすると信じられていた時代に、本質的な問いを行ったソローの著作はとても先駆的なものでした。しかし、当時は誰からも理解されず、1000冊のうち800冊が返本になるなど、著作も殆ど売れなかったのです。ソローの代表作である「ウォールデン」(1854年)は、同時代の読者に評価されなかったという点で賢治とも共通しています。この本の中でソローは、「第四の階級」としてのwalker(歩く人)について述べています。このwalkerとは、教会・国家・人民という当時の三つの階級の外部にあるものです。ソローにとって、「歩く」ことは不可欠の行為でした。歩くことによって、人は精神的共同体の内にある野生(wildness)に唯一踏み込むことが出来ます。そのためには人間社会の外に出ていかなければなりません。社会の外にどれくらいまで出ていけるかを歩行によって試みること、それはとてもラディカルな行為でした。ソローは「孤独―沈黙―歩く」という一連の行為について述べていますが、彼にとって孤独とは、一般的な意味での孤独ではなく、近代的自我から離れ、一人自然と対峙することによって、自我への執着を捨てていくという創造的な意味を持つものでした。
ただし、ソローが住んでいた森は町から一時間程度のところにあり、彼は人間社会と隔絶した仙人のような暮らしをしていたわけではありません。そこへわざわざ行く人はあまりいませんが、動物はやってきます。また周縁化された人々、すなわち奴隷が逃れてくることもありました。こうしてソローが森の中で誰と、何と出会っているのかは重要な意味を持っています。それは、ここに人間社会のルールを超えた新しいコミュニティが生まれているからです。ソローは当時メキシコ人たちと一緒に収監されていた逃亡奴隷たちについて、むしろそちらの方に正義があるのではないか、逆に正義を持つ私たち全員が監獄に入れば無血革命が起るのではないか、と考え、既存の権力のあり方を鋭く問い直しました。当時のアメリカでは、奴隷制度廃止後も刑法などによって黒人の行動を取り締まり、犯罪者に仕立てて強制労働させるなど、人種主義的イデオロギーによって社会を律しつづけました。そうした病理の根源をソローはいちはやく抉り出したのです。歩くことによって人間社会を出ていくことは、その場から逃げることではありません。それは既存の社会を超える場の可能性をどのようにして知り、実現することが出来るかを考え、実践していく「反社会的行為」だったのです。ソローはこうした本質的な技芸として、歩行をアートにまで高めたのです。
最後に、私たちが住む自然環境のすべてを覆っている水をテーマとして、私が手掛けた「水の憲法」という映像作品をご覧いただきます。
私たちが住む大地とは、大陸ではなく、全て島なのです。大地を浮かせ支える水の力は、地中の水脈のイメージとして、古代ギリシアの哲学者、タレースの「万物の根源は水である」というテーゼのような直観的な発見につながってきたように思われます。この映像を撮影した奄美群島では、人間の心のおおもとには水があると考えられています。それは私たちにとって、憲法のように成文化されてはいない、自然の理法としてとても大切なものなのではないでしょうか。奄美では、ものの知らせのことを「むんしらせ」と呼びます。それは本質、理法を知らせる予兆であり、それは水を通じて現れるのです。奄美では豊かな水による恵みと災害は常に背中合わせにあり、「多島海」に浮かぶ島々に生まれた人は、水を介して一生その「生まれ島」と繋がっていると信じられています。奄美の人々には自分自身の水として、「生まれ島の水」(生まれた集落の地下水)を正月に家族で飲む習慣があります。こうした水に託してきた人々の強い思いを、私たちはもう一度思い出してみるべきではないでしょうか。
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