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2019/2/16 sat
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新見 隆

メタ自然としての水庭を、アートとしてみる

この六月に、那須山麓は横沢の地、ユニークな芸術家村として、北山ひとみさんと私どもの営むアート・ビオトープ那須に、いちおうの完成をみた、異端の建築家石上純也による「水庭」。それはいっしゅ、自然そのものを素材としてメタフィジカルに再解釈した、瞠目的な、現代アートへの新しい提案にみえる。二十世紀美術の大論点、マルセル・デュシャンを、強く想わせる。古今東西の「庭」は、人間による自然の読解だが、その読みの歴史にも、また現代文化のあり方にも、大きな石を投じるものになるだろう。

新見 隆

1958年生まれ。武蔵野美術大学芸術文化学科教授。大分県立美術館館長。フリーランス・キュレーター。美術・デザイン評論家。イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。西武美術館・セゾン美術館の学芸員として、「バウハウス 1919-1933」「イサム・ノグチと北大路魯山人」などの展覧会を企画。著書に『空間のジャポニズム』『モダニズム庭園と建築をめぐる断章』など。2011年「ウィーン工房展 1903-1932」展(パナソニック電工汐留ミュージアム)で西洋美術振興財団賞を受賞。

 

Report

 
世界観察の場としての水庭

タイトルに示した「対抗文化(カウンターカルチャー)」とは、ヒッピーカルチャーと呼ばれるような、権力、経済の力などに対抗し、新しい人間社会のあり方を提案していく文化のことです。こうした文化の系譜に属する20世紀を代表する全人的彫刻家、イサム・ノグチと、コンセプチュアル・アートの元祖にして20世紀美術の大論点であるマルセル・デュシャンを手掛かりに、今日は水庭について考えてみたいと思います。

水庭とは、人工的に作られ、自然へと再び戻っていく庭として、自然・文明・社会を考えようとする場として作られたのではないかと考えています。このことについて考えるために、まず大分県、国東半島にある長崎鼻に設置された藤本由紀夫さんの作品を紹介したいと思います。この作品は、海の向こうに四国を一望する場所に、音や鳥の声を聴くためのベンチを設置したものです。ベンチの下は鏡面になっていて、アクリル板にsilentlistenという英単語が書かれています。この二つの単語はどちらも同じ字数のアルファベットからなる単語で、元々はデュシャンの大作「大ガラス」の中にあった言葉遊びに由来するものです。そこには、沈黙から音が生まれ、また音もやがて沈黙となる、というメッセージが込められています。この作品は、ここを訪れる人が何かを感じるための場所として作られたものなのです。 

平安末期から鎌倉時代初めにかけての時代は、政情が非常に不安定で、武士の支配する、力の時代になりつつあった時代でした。そうした状況は現代の状況にも通じています。その頃、「見渡せば花も紅葉もなかりけり」と詠じた藤原定家は、そこにあるものとないものとを言葉によって描きました。こうした虚構性の表現は、当時まだヨーロッパにはなかったものです。藤原定家や『方丈記』の鴨長明のように、時代に流されることなく、虚構である文学を通じて現実の在り方に目を凝らそうとすることこそ、芸術の力といえるものではないでしょうか。

藤本さんの作品も、自然の中にあるものを使いながら、現代の在り方を改めて問い直そうとしたものです。こうした現実の在り方を、虚構の装置を通じて表現し、問いへと促す構造は水庭とも共通しています。つまり、水庭もまた同様に、世界観察の場として利用することが出来るのではないでしょうか。東の水庭、西のsilentlistenによって、東西からこの騒がしい世を挟み撃ちにしたいと思っています。

 
対抗文化の歴史と、未来へと向かうアートビオトープを考える

20世紀初頭、元祖ヒッピーたちが集まったイタリア、アスコーナ。そこに生まれたのが「モンテ・ヴェリタ」というコミュニティです。ここにははじめ、イザドラ・ダンカンをはじめとするモダンダンスの人々が集まり、人間の身体が宇宙や自然から切り離されつつあるという近代の危機に対して、自然との繋がりを取り戻すために、菜食主義や男権の否定、身体の解放などの試みが行われました。その中にいたのが、「人智学」を提唱したルドルフ・シュタイナーです。人智学とは、人間の叡智(霊性)を探求することを通じて、世界の本来的な在り方を明らかにしていこうとするものです。宇宙のサイクルに心身を一致させることを目指すダンス(オイリュトミー)や文化活動、社会活動などを通じて世界の知恵を新しいやり方で発見していこうとするこの思想は、元々はゲーテに由来するもので、科学を超えて世界知を考え直すためのセンターは、ゲーテの名を冠して「ゲーテアヌム」と呼ばれています。

こうした人間の本来的な在り方を求めようとする傾向は、日本の民藝運動にも見られます。民藝運動のグループに属していた濱田庄司やバーナード・リーチらは、現代社会から遠く離れた沖縄などの辺境に学ぼうとしました。そこには、辺境から美がやってくる、という意識があります。武者小路実篤の「新しき村」の建設や、宮澤賢治の羅須地人協会も同様の思想に基づくものです。

1970年の大阪万博で最も人気を集めた展示は、アメリカ館の月の石でした。それに先立つ1967年のモントリオール万博のアメリカ館は、バックミンスター・フラーによるドーム構造の建築でしたが、そこに展示された最初のコンピューターゲーム「ワールドゲーム」は、急速に発展しつつある現代社会に対して、サステイナブルな生活を考えようとした大きな事件でもありました。同時期に発表されたレイチェル・カーソンの有名な著作『沈黙の春』や、『センス・オブ・ワンダー(驚きの感覚)』もまた、現代社会の在り方に対して、自然の本来的な在り方を見つめようとするものでした。大阪万博のアメリカ館の展示は、月の石とシェーカーの家具や衣服を並べたものでしたが、この展示の根底には、文明の最先端とそれに対する批判精神が示されていたように思えます。

これらの試みはいずれも、芸術が本来的に持ち合わせている行為性や起源への問いかけが、現代社会の在り方や文明の本質を顕わにし、それらに対して批判的なものとして作用した例であるということができるでしょう。

上海滞在中にイサム・ノグチが残した水墨によるデッサンは、外形ではなく気の循環を捉えようとしたものでした。こうした内面への注目は、外形を写すそれまでの西洋のデッサンとは異なり、モルフェ(形作るもの)としての根源的な力を探ろうとする試みであったといえます。ノグチの設計による慶応義塾大学の旧萬來舎では、数種類の床材が使用されていました。これは多様な民族の思想とその融合を表現しようとしたものです。その他のノグチの作品には、個を超えた無意識を表現した「かぶと」や、ノグチが世界中で見た様々な遺跡などが融合されている「モエレ沼公園」などがありますが、これらからは人間の体や土地、日照、自然、遺跡から生み出される、根源的な情動による体を踊らせる舞踊的なもの、ディオニュソス的なもの存在が感じられます。牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館では、彫刻のシークエンスが鑑賞者の体を軸にしながら動いていくことを体感することができます。そこでは彫刻とはある形やボリュームとして捉えられるものではなく、むしろダンスに近い体験として私たちの前に現れてきます。こうしたノグチのランドスケープが持つ身体論的性格は、水庭を考える上でも参考になるように思われます。

ランドスケープということでは、荒川修作の「養老天命反転地」は、体に異常な負荷を掛けることによってある能力が高まり、それによって人間の記憶を永遠にし、不老不死とするという構想から生まれた作品で、何かを削ぎ落とすことによって私たち人間の未知の能力が引き出される、というシュタイナーと通ずる考え方を持っています。日常生活にはあり得ない構造を持つ場所を訪れることで、それまで見えなかったもの、感知されなかったものが五感を通じて感じられるようになる、という考え方は「水庭」の作庭意図にも共通しています。

普段我々の眼に見えないものをどのようにすれば考えることが出来るか、ということに関して、最後にデュシャンを取り上げましょう。デュシャンは単なるモナリザの複製画に「髭を剃られたL.H.O.O.Q.」というタイトルを付けて発表しました。デュシャンによれば、目の前にある現物が大切なのではなく、そこにある種の概念を与えることこそが作品であったのです。デュシャンの代表作である「大ガラス」という作品は、上部は四次元、下部は三次元を示していると解釈されています。私たちは四次元のものを直接見ることは出来ませんが、三次元のものが写像されたものが四次元のものであると仮定するならば、原像となる三次元のものを知ることによって、その写像となる四次元のものを想像することが可能になります。例えば、あの世とこの世が連動しているとすれば、私たちにはあの世は見えないが、あの世とはこの世と連動しながら、同様に動いているものなのではないか、と考えることができます。こうした「~かもしれない」という仮定によって、大ガラスの上部と下部とを接合したことに、デュシャンの「アート」があったのです。デュシャンはこうした作品を通じて、アートとは想念でよい、と考えました。

デュシャンの遺作である『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』は、板塀に開けられた覗き穴から向う側を覗くと、滝のある風景の中にランプを持って横たわる裸婦が見える、という作品です。この覗き穴を覗くことは、もし覗き穴の向こう側が現実であるとすると、実はそれを眺めている私たちがいるのは、逆にあの世なのではないか?という問いともなります。

本日の冒頭で、水庭とは自然そのものではなく、人工によって生まれ、これから自然へと再び戻っていくものである、とお話ししました。こうした水庭とは、人間と自然、また現実としての自然と模型としての庭とを繋ぎ合わせようとするものであり、自然のコンセプチュアルアートといえるもののように思われます。水庭の前に立つ時、私たちはそこに自然を見ているつもりでも、逆に自然の方から私たちの方が見られているのかもしれません。

木々と水という自然の素材を使い、その循環を可視化した水庭という世界模型に向かう時、私たちはそこにこうした現実世界とその価値を、同じく模型や玩具のようなものへと反転させようとする問いかけを感じるのではないでしょうか。このように考える時、水庭とは「世界を凝視する庭」であり、私たち一人ひとりの根底にある、静かで、また軽やかな孤独そのものを映し出すものであるように思われるのです。

 

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